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2010年07月 アーカイブ

弔電の電報 その歴史

電報 弔電などを送る際に利用する電報。


その歴史は意外と知られていません。


今回は、そんな電報、電信の歴史を紹介したいと思います。


昭和14年の第二次欧州大戦の勃発に次いで、16年には遂に太平洋戦争へと突入。


全世界が戦時体制下に置かれるに至りました。


この間における日本経済は、逐年、戦時経済の色彩を強めていきます。


従って電信事業拡張に要する原資も陰に陽に軍需生産に吸収されるところとなり、13年度以降は毎年度計画へと規模が縮少されるに至りました。


一方、規則・制度の動きについてみると、恐慌から戦時への時代的背景、即ち国策的な要請に基く部分的な変遷にとどまり、大改正は行われていません。


東京・大阪間における写真電報の取扱開始(昭和5年8月)、貼附式和文印刷電信機の採用(昭和12年11月)、日満間(東京・新京)模写電信の開始(昭和18年12月)などがこの時代を代表する電信設備の進歩発展でした。


見のがし得ない重要事項としては、通信院の発足(昭和18年11月)がありました。

弔電の電報 その歴史 (2

今回も、電報 弔電などで利用する電報の歴史です。

当時ますますし烈化してきた戦局に呼応し、戦時下の通信と輸送力確保を趣旨として、鉄道、逓信両省を合併し運輸通信省が設置されたのに伴って逓信省は同省の外局として通信院となったものです。


日支事変に至るまでの当局の動き


昭和初期における当局の運営は、新局舎移転後の成果に期待を寄せながらスタートしました。


しかしながら、その後経済不況、戦時体制移行など不可抗力な障害に遭遇し、必ずしも予期どおりの進展をみるには至らなかったのです。


数次にわたる電信事業拡張改良計画も、通信機器の改良、特に高速度化への考慮までにはかなりの開きがありました。


従って、日支事変以降における異常な業務量の膨張に対応するそ通機能に重大な影響をおよぼしたことは、種々の記録が伝えるところであり、また記憶にも新しいことです。


昭和9年、長年にわたる懸案であり、かつ通信事業にとって悲願であるとさえ唱えられていた「通信特別会計制度」が実施されました。


将来の事業経営とその成果に対する期待は、全従業員はいうまでもなく、社会各般からも大なるものがありました。


特別会計制度実施にあたり、当局では"無駄排除週間"などの記念行事を開催し、制度の意義、電報サービスの向上の必要性、物資の節約などを強調し、更には周知宣伝室を設置して電信事業のPRを実施したことが記録に残されています。


これは特別会計制度実施への喜びと期待を物語る一例ですが、一現業局においても同様のことでした。

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