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2010年09月 アーカイブ

電報の弔電とスパイ事件

みなさんも電報 弔電などを打つ際に電報を利用することがあると思います。


わたしたちの生活に欠かせない、そんな電信の歴史を紹介します。

1941(昭和15)年、ゾルゲのもとにはドイツの対ソビエト攻撃開始を知らせる情報が続々と集まり、ゾルゲはその情報を次々にモスクワに宛て弔電のような電報を送信しました。


発信東京 5月2日 11時05分


私はドイツ大使オットおよび海軍武官と独ソ間の相互関係について話し合った。


オットはヒトラーがソビエートを粉砕し、ドイツが全ヨーロッパを掌握するために、ソビエトのヨーロッパ部を穀物原料基地として、自分の手におく決意に満ちていると述べた。


(以下略)ラムゼイ


東京 1941年5月30日


ベルリンはオット大使に、ドイツの対ソビエート攻撃は六月後半に開始されると伝えてきた。


オットは九五パーセントの確率で戦争が開始されると確信している。


この件について現在私が見ている間接的な証拠は、下記の通りである。


私の都市にあるドイツ空軍の技術部は至急帰国せよとの指令を受けた。


オットは駐在武官にいかなる重要な報告もソビエト経由で送らないように要求した。ソビエト経由の。


コムの輸送は最低限まで減らされた。


(以下略)ラムゼイ

電報の弔電とスパイ事件 2

みなさんも電報 弔電などを打つ際に電報を利用することがあると思います。


わたしたちの生活に欠かせない、そんな電信の歴史を紹介します。

ゾルゲの収集した情報は、正確なものでした。


しかしこの決定的な弔電のような電報情報をソビエト指導部は信用せず、無視してしまいます。


スターリンは、


「ドイツはヨーロッパでイギリスをはじめ連合国と戦っている。


第一次大戦の教訓をふまえても、ソビエトを侵攻し二つの方向で戦う無謀な戦争をドイツがはじめるはずがない」


・・・と確信していました。


ゾルゲがドイツ人の血を引いていることも、モスクワの指導部に不信感をもたれていたのです。


ゾルゲの情報通り、6月22日未明、ドイツ軍は突如ブインランドから黒海に至る長大な戦線において空陸一体の攻撃を行ないます。


ブインランド、ルーマニアなどの従属諸国の軍隊を含む150箇師団の大軍をもって一斉にソビエト領土に侵入。


ソビエトは組織的な戦闘ができないまま、初戦に大敗を喫してしまいました。

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